2014年9月18日木曜日

アジア大会選手村

9月17日の朝日新聞夕刊に掲載されたインチョンアジア大会の記事。19日の開会式を前にして、選手村に入村した選手に「住みごこち」を尋ねたところ、「17階まで歩いています」という返事が戻ってきたとか。

高層マンションの選手村で「エレベーターは動いたり、動いていなかったり」とのコメントを読んで「アジアパラの時は動いてくれなきゃ!」と思いました。

車いす使用者がエレベーターで移動するとき、健常者よりもずっと時間がかかります。アテネの選手村は4階建てだったけれど、練習に、試合に、そして食事に、と移動のたびにエレベーターの前は列ができていました。

選手村が高層マンションだという今回のインチョンでのアジアパラ、移動の時間配分が難しくなるかもしれませんね。エレベーターは絶対にいつも動いてくれないと困りますが!

今回のインチョンの選手村には、食堂、診療所、コンビニ、インターネットカフェがあり「設備もよくて、ごはんもおいしく、生活しやすい」という選手のコメントが掲載されていました。10月4日までのアジア大会、10月18日から24日までのアジアパラ大会、それぞれに参加する選手たちが楽しく過ごせる選手村でありますように。


2004年アテネパラリンピック選手村

移動には村内バスを利用します
ちょっと歩いて、とはいかない大きさでした

 広大なカフェテリア 奥まで行くのがめんどうになって
手前のマックで食事を済ませたことも・・・

2014年9月12日金曜日

車いすフェンシング用ピストあれこれ

フェンシング競技では「試合コート」のことを「ピスト」と呼びます。健常者フェンシングで競技者が前後に動きながら競技をする「あの場所」のことです。車いすフェンシングは車いすを固定して競技をしますが、その固定するものは「Fencing Frame」です。ですが、私たち車いすフェンシング関係者はこのFencing Frameのことも活動初期から「ピスト」と呼んできました。日本での「ピスト」の移り変わりをご覧ください。



 1964年東京パラリンピックです
これこそ「人間ピスト」
二本の白線から大きくずれれば仕切り直しをするのでしょうね
多分・・・
東京パラリンピックの記録の中から見つけた貴重な写真
日本選手も参加したという記録はありますが
その後、日本では全く車いすフェンシングは行われていませんでした


1984年神戸で開催されたフェスピック
(現在のアジアパラリンピック)で使用したピスト
その後、京都市障害者スポーツセンターで保管

1994年に初めて車いすフェンシング講習会を開催
総重量が100キロ近いこのピスト
男性が4人掛かりでセッティングをしていました




もう少し簡単に出し入れできる軽いピストを・・・
全く独自に「開発」したピストです


二つのフレームの距離調整は「手動」です
中央の棒を止める用具もあれこれ試行錯誤


車いすの固定も金具を工夫しています
ピストそのものは簡単になったというものの
車いすの取り付けにはとっても手間がかかりました




2000年シドニーパラリンピックの準備をしている頃
イギリス製のピストを手に入れました


二つのフレームをつなぐ中央の棒はハンドルで距離が調整可能
車いすの車輪を押さえる金具はとても使いやすいものに
フレーム一つは約25キロ
一人で運べる重さになりました


車いすフェンシング競技にとっての必需品
「ピスト」(フェンシングフレーム)はドンドン改良され
最近では素材も変わってきているようです
電動でフレームの距離を調節するものもできたと聞きました
将来に向けて、これからあれこれ調査開始です