2014年11月10日月曜日

女性NEWフェンサーです!

櫻井杏理(さくらいあんり)さんです

障がい者スポーツのベテラン写真家
清水一二(しみずかずじ)さんの写真でご紹介します


京都在住
チェアスキー選手
根っからのアスリート
フェンシングの剣を握ったのは一ヶ月前から


新しく教えてもらうことを毎回いっぱい吸収中


臆することなく、ドンドン攻めていく杏理さん
12月の香港グランプリに参加します

2014年10月22日水曜日

大健闘

フルーレ予選を通過した藤田道宣選手
決勝トーナメント戦
予選トップ通過のアマール選手(イラク)との対戦

リードした瞬間です
日本チーム関係者、大興奮!

健闘むなしく11対15で敗退
ピストを下りた藤田選手に
対戦相手のアマール選手が声をかけてくれました
「いい試合だったよ、君は僕の大事な友人だよ」と

翌日のエペの予選
自分の試合が終わったあと
藤田選手に話しかけるアマール選手
国際大会ならではの風景

2014年10月19日日曜日

インチョンアジアパラ大会 速報

インチョン空港では
こんなバナーがお出迎え

監督と事務局長は大会のオフィシャルホテル滞在
会場からは車で10分のところ

ホテルのロビーの「ウェルカムデスク」
あれこれ情報収集です

車いすフェンシングの会場はソンドグローバル大学構内
タクシーを降りてから会場を探すのが一仕事

やっと会場入り口に到着

少し小さめでしたが、きれいな会場です

 初陣の加納慎太郎選手
緊張気味で最初のフルーレ戦に臨みます

午前中のプール戦(予備選)
6つのピストで試合が同時進行です

藤田道宣選手も参加しています
       
藤田選手は予選通過しました
詳細な試合結果は後日の報告として
インチョンから「今日の試合風景」の速報です


2014年10月17日金曜日

インチョンへ

10月17日早朝の関西空港です
インチョンアジアパラ大会へ
車いすフェンシングチーム出発の日
本隊はもうインチョン入りしています
同行は、水泳の選手一名と車いすダンスのメンバー

フェンシングバッグ、競技用の車いす
チェックイン手続きは相当時間がかかりました

藤田道宣選手、加納慎太郎選手(左端)は、初の海外遠征
選手2名、コーチ2名で、いざ出発
(監督、早朝から「車いす運び」で関空へ)

インチョン報告をしてくれる「予定」です
お楽しみに!

2014年10月9日木曜日

アマゾン・アスリート応援プロジェクト


車いすフェンシングからは藤田道宣選手と加納慎太郎選手が登場
アマゾンのほしいものリストに登録しました

車いすフェンシングの選手が「全国区」になりました
ぜひみなさまのお知り合いの方にもお知らせください


2014年9月18日木曜日

アジア大会選手村

9月17日の朝日新聞夕刊に掲載されたインチョンアジア大会の記事。19日の開会式を前にして、選手村に入村した選手に「住みごこち」を尋ねたところ、「17階まで歩いています」という返事が戻ってきたとか。

高層マンションの選手村で「エレベーターは動いたり、動いていなかったり」とのコメントを読んで「アジアパラの時は動いてくれなきゃ!」と思いました。

車いす使用者がエレベーターで移動するとき、健常者よりもずっと時間がかかります。アテネの選手村は4階建てだったけれど、練習に、試合に、そして食事に、と移動のたびにエレベーターの前は列ができていました。

選手村が高層マンションだという今回のインチョンでのアジアパラ、移動の時間配分が難しくなるかもしれませんね。エレベーターは絶対にいつも動いてくれないと困りますが!

今回のインチョンの選手村には、食堂、診療所、コンビニ、インターネットカフェがあり「設備もよくて、ごはんもおいしく、生活しやすい」という選手のコメントが掲載されていました。10月4日までのアジア大会、10月18日から24日までのアジアパラ大会、それぞれに参加する選手たちが楽しく過ごせる選手村でありますように。


2004年アテネパラリンピック選手村

移動には村内バスを利用します
ちょっと歩いて、とはいかない大きさでした

 広大なカフェテリア 奥まで行くのがめんどうになって
手前のマックで食事を済ませたことも・・・

2014年9月12日金曜日

車いすフェンシング用ピストあれこれ

フェンシング競技では「試合コート」のことを「ピスト」と呼びます。健常者フェンシングで競技者が前後に動きながら競技をする「あの場所」のことです。車いすフェンシングは車いすを固定して競技をしますが、その固定するものは「Fencing Frame」です。ですが、私たち車いすフェンシング関係者はこのFencing Frameのことも活動初期から「ピスト」と呼んできました。日本での「ピスト」の移り変わりをご覧ください。



 1964年東京パラリンピックです
これこそ「人間ピスト」
二本の白線から大きくずれれば仕切り直しをするのでしょうね
多分・・・
東京パラリンピックの記録の中から見つけた貴重な写真
日本選手も参加したという記録はありますが
その後、日本では全く車いすフェンシングは行われていませんでした


1984年神戸で開催されたフェスピック
(現在のアジアパラリンピック)で使用したピスト
その後、京都市障害者スポーツセンターで保管

1994年に初めて車いすフェンシング講習会を開催
総重量が100キロ近いこのピスト
男性が4人掛かりでセッティングをしていました




もう少し簡単に出し入れできる軽いピストを・・・
全く独自に「開発」したピストです


二つのフレームの距離調整は「手動」です
中央の棒を止める用具もあれこれ試行錯誤


車いすの固定も金具を工夫しています
ピストそのものは簡単になったというものの
車いすの取り付けにはとっても手間がかかりました




2000年シドニーパラリンピックの準備をしている頃
イギリス製のピストを手に入れました


二つのフレームをつなぐ中央の棒はハンドルで距離が調整可能
車いすの車輪を押さえる金具はとても使いやすいものに
フレーム一つは約25キロ
一人で運べる重さになりました


車いすフェンシング競技にとっての必需品
「ピスト」(フェンシングフレーム)はドンドン改良され
最近では素材も変わってきているようです
電動でフレームの距離を調節するものもできたと聞きました
将来に向けて、これからあれこれ調査開始です