"Father" of Italian Wheelchair Fencingと呼ばれていたVittorio Loiさんが亡くなったとのIWASの記事。寂しいお知らせの中で、懐かしいヴィットリオさんの写真に再会しました。
1998年のドイツ世界選手権の時、日本の車いすフェンシングチームにとって初めてのヨーロッパの大会。何もかもが手探りの状態の時でした。車いすの検査を担当したいたのがヴィットリオさん。彼の英語はほとんどわかりません。通訳の人はついていたのですが、何が何だかわからない私たちには、とにかく「怖い人」のイメージしかありませんでした。
部品が足りないから、補修するように、と言われて途方に暮れているとき、香港チームが予備に持参したその「部品」を私たちに渡してくれました。取り付ける工具も貸してくれました。夕闇せまるホテルの庭で補修をしたことを思い出します。
出来上がった車いすを見せて、やっと「OK」が出た時にホッとした感覚、今でも覚えています。
翌日、ヴィットリオさんが、私たちのところに近づいてきたのです。「まだ、何かあるのかな?」と一瞬身構えてしまいました。
「日本のピンバッジ、僕にもくれる?」とヴィットリオさん。あわてて差し出すと、満面の笑みで「Thank you!」
その後のワールドカップや世界選手権で顔を合わすと、いつも気楽に「Hi, Japan!」と声をかけてくださったヴィットリオさん。初対面の印象とは全く違う、気さくなおじさんでした。
現在のイタリアチームの基礎を築き、多くの障がい者のために働かれたヴィットリオさん。たくさんの笑顔、ありがとうございました。静かにお休みください。
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